いつものこと。

流れていく毎日を、忘れないように書き留めて。

ホラー映画から学ぶ。【ババドッグ 暗闇の魔物】を観て。

なんとなく、ホラーが観たくなって、何気なーくお風呂あがりにヨガをしながら見始めたこの、「ババドッグ 暗闇の魔物」は映画として、最後にグッと心に残るものを置いていった。

f:id:lilyjiji:20181224112447j:imagef:id:lilyjiji:20181224112453j:image

1冊の絵本によって恐怖の底に突き落とされる母子を描き、シッチェス映画祭をはじめ世界各地の映画祭で絶賛されたオーストラリア製ホラー。夫を事故で亡くしたシングルマザーのアメリアは、学校で問題ばかり起こす息子サミュエルの扱いに悩まされていた。ある晩、サミュエルがアメリアの知らない絵本を持ってきて呼んでほしいとせがむ。それは「ミスター・ババドック」というタイトルの不気味な絵本で、物語は途中で終わっていた。サミュエルが異様に怖がったことから絵本を破り捨てるアメリアだったが、捨てたはずの絵本がいつの間にか戻ってきてしまう。それ以来、彼女の周囲で不可解な出来事が次々と起きるようになり……。「シャーロットのおくりもの」のエシー・デイビスが、精神的に追いつめられていく母親役を熱演した。 (映画.comより引用)

 

 

最近はもっぱらAmazon prime videoでの映画鑑賞である。AmazonTVの良いところは、自分でわざわざレンタル屋へ行って、お金を払って借りたくはない、だけどちょっと気になる、、モノを観られることである。以前AmazonTVでみつけたゲット・アウトという作品があった。

f:id:lilyjiji:20181224112427j:image

パッケージだけ見たら、ただのスプラッター映画に見えた作品も、白人至上主義が残るアメリカ社会への皮肉なメッセージを感じた心に残る作品だった。今回のババドッグも、日本語タイトルとパッケージだけ見たら、危険なB級映画の香りがするものであったため、まぁ、さらっと見てみるか、というつもりで見始めた。しかし、しっかりと心に突き刺さるテーマを残したいい映画であった。以下、感想を語る!(※ネタバレありご注意を!)

 

まず、早速ネタバレになるのだが、ババドッグの正体は、誰の心の中にもいる闇である。その闇に名前をつけて、偶像化したものがババドッグ。もしくは、偶像化されているように感じているだけかもしれない。

 

シングルマザーのアメリアは、問題ばかりを起こすサミュエルの育児に疲れ果てている。その自由奔放なサミュエルの描写からこの作品は始まるのだが、まずサミュエル役のノア・ワイズマンの演技が最後まで通して、すばらしい。演技しているように見えないのはもちろんのこと、迫真の演技すぎる場面が多々。ノアの声の出し方は、ホラー感を一層濃厚にするし、母を想う健気な行動や表情は、一気にヒューマンドラマの世界に連れて行かれる。

 

全編を通して、母が子を想いたい強さと、子が母を想う愛情が核になっている映画である。だから、ただのお化けが出てきて怖ーい!というホラーではなく、現象として怖いというお化けよりも、もっともっと怖い人間に潜む闇を強大な敵として描いた作品である。

 

どんどんと育児ノイローゼが重くなっていくアメリアは、誰に話すこともできず、頼ることもできず、ババドッグという闇を飲み込んで、心の闇を強大化させ、ついにはノアを殺そうとしてしまう。

 

このババドッグという闇は、最初にも記した通り、誰の中にも存在するし、それはいつでも巨大化するタイミングを待っている。隣人の言葉にも耳を傾けず、我が子の言葉も信じられず、自分は孤独だと感じてしまうアメリアは、誰しもがなり得る人間である。

 

最終的に、アメリアは亡くなった夫の部屋である地下室で、「ババドッグを飼う」という形に落ち着き、共存していくという道を選んでラストになる。それはちょっとB級感がある描き方だなと正直なところ思った。ババドッグは具現化することはない、とわたしは思う。自分が作り出しているものであって、自分がしている行動を、さもババドッグがやっているように感じているだけである。一種の二重人格のようなもの。その自分の中のババドッグと対話し、話し合い、いがみ合って、戦っていくことが、自分を作っていくことになるのかもしれない。

 

隣人の愛を感じること、子供を信じること、自分の人生を生きていると自信を持つこと。きっと、それが大事だと思う。

 

いやぁ、いい映画だった。

ぜひ、一人で見てください。笑