いつものこと。

流れていく毎日を、忘れないように書き留めて。

専業主婦 = House maker

何を隠そう、私は朝のテレビ番組のスッキリが好きだ。

 

スッキリが取り上げる情報や、問題提起する内容がとても興味深い。明るい水卜ちゃんや、実は女子力高いはるな(呼び捨てですいません)や、ガツンと突っ込む加藤さんが、朝から自分に元気をくれるし、何より朝からテレビを見ながら勉強になる。

 

最近は、「モリserch」という森アナウンサーが解説する、社会情報をよーくまとめられたコーナーが好きだ。そこで、アメリカの選挙についても人ごとではないと意識を持ったし、水道民営化に関しても将来への危機感を持った。グラフィックの仕事に携わっている身としては、裏でボードやポップ、パワポを作っている人の気持ちになるとお疲れ様と思うのだが、少なくとも私には確実にちゃんと想いが届いているから、心から感謝したい。(お疲れさまです!)

 

つい数日前コメンテーターのモーリー・ロバートソンさんが、言っていたことが頭にずっと残っている。「アメリカでは以前、専業主婦のことをHouse wifeと言っていたが、近年ではHome makerという。家の中をつくる事はとても大事。結局、家をつくる人というのは生産性の塊ということになる。」(要約した内容)

 

スッキリの中で、街頭アンケートのコーナーがある。数日前に「専業主婦は夫に罪悪感を感じることがあるか?」という内容があった。アンケートの中では、半分以上の人が罪悪感を感じることがあると答えていた。例えば、美味しいランチを食べた時や、欲しいものを買った時に主人に申し訳ないと感じる、、という答えであった。逆に罪悪感を感じないと答えた人は、私が見た限りでは50大後半〜70代の人で、その当時は専業主婦が当たり前だった、家事も子育ても忙しいしそんなことは思わない、子育てに集中できて嬉しかった、などなどの意見が出ていた。

 

私も結婚した当初、東京でやっていた仕事を辞めて、新しい場所で夫と暮らし始めたこともあり、生活全部を養ってもらうということに関して抵抗があった。アンケートの答えにもあったように、欲しいものを買うときに、、私はあんまり頑張ってないからな、、夫は毎日仕事頑張ってるしな、、と思ってしまうことがあった。一人暮らしで働いていた自分にとっては、家事をすることなんて片手間で要領よくやる事であったし、ご飯を作ることも、当たり前のようにやっていたことだ。専業主婦は、その片手間でやっていたことがメインの「やる事」である。だなら簡単に毎日の「やる事(役目)」が終わり、あっという間に夕方近くになってしまうと、、あー今日は何もやってないな。。家事しただけだ、、という気分になるのである。仕事をしていた時は、毎日がめまぐるしい。毎日が目新しい。毎日が勉強の宝庫だった、、ように感じる。昔の彼氏との思い出は美化されるとよく言われるように、昔の自分像はキラキラしていた、ように感じているのかもしれない。

 

でもそんなことはないかもしれない、と最近思いつつあった。家事を誰かがしなければ、パートナーは暮らしていくのにストレスがかかることになるし、ご飯担当を誰かがしなければ、パートナーは疲れた仕事の帰りに自分で考えることになる。それらの家事全般が好きなパートナーは良いが、そうではない場合、家事をする人材は絶対的に超重要な存在になるはずである。つまり、House makerは家をつくる役割を担った人、もう1人のパートナーは、家を保持するために外から支える人なのではないか。

 

モーリーさんの言うように、専業主婦はHouse makerとして家をつくるという重要な役割を担った人物である。もし空いた時間ができたならば、それはもしかしたら働いている以上に、最大限に自分を成長させるチャンスである。本を読んで、映画を見て、漫画を読んで、運動して、新たな分野に興味を持って、新たな価値観をいっぱい吸収したらいい。それが、自分(専業主婦)に魅力的な引き出しをつくってくれるのであれば、どんどん知らぬうちに魅力的な人になれるはずである。

 

私は私なりに魅力的な妻になりたい。

 

Hose maker は必要不可欠な存在だ。そのためにはあぐらはかいていられない。

 

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母性の罠とジャー男

あっという間に「平成」最後の12月。

結婚してからは12月なんて聞いたら、あー実家に帰るかとか、年始はどう過ごそう、なんて現実的な問題が先に思い浮かぶ。

つい何年か前までは12月に入る前からソワソワして、「クリスマス」とか「プレゼント」とか、「可愛い下着」とか、そんなワードを自分の中で活性化させていた気がする。いわゆるウキウキするという状態。今でも無いわけではないけれど。笑

 

恋人がいたら、少なからずウキウキするのは当たり前だろう。だって、恋しい人なのだから。そんな人がいたら、なんだか身体がホッとして、あったかくなって、なんでもできる気がして、どうも下心なことも考えてしまって、そんな自分に嫌悪して、、っていう繰り返しが楽しくてしょーがない。←自分ではそう思っていないのだけど。ちょっとダメな彼氏でも、全部が愛おしく思えて、可愛く見えてきて、どうにかしてあげようと一生懸命になってしまう。それが世に言う「母性」というもの。

 

母性とは、、

kotobank.jp

 

私の手元にある新明解国語辞典で調べてみると、

 女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的性質

ググッてで一番に出てくるのは、

 女性特有の、いかにも母らしい性質。女性に備わっている、子供を生み育てる資質。

だそうだ。

 

私は、その「母性」とやらを、当時付き合っていた彼(炊飯ジャー男と命名)に大発揮していた。

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「今日も行こうか?」

今にも雪が降りそうな空を眺めて、ガラケを耳に言った。

「もう雪降りそうだから、早めに行くなら行っときたいんだけど、、。」

「・・・ん〜、。」

「ねー、どーするの。行った方がいいの?、、もーじゃぁ、行くよ?」

「・・、ん〜、・・はーい。」

時計はもうすぐ翌日の1分をさすところだった。

外からは車が水上を走る音が、1台、また1台と聞こえていた。北陸では道路の真ん中に融雪機があって、冬に入ると道路は川のようにびしゃびしゃだ。

私は、ザッとカバンに泊まる用意と翌日の学校の準備をまとめて、適当な厚手のジャンバーを羽織って出かけた。軽く化粧をして。

ピンポーン。

2年経っても合鍵を持たされていない私は、インターホンを押した。

適当な顔をした彼が出て来て、半分もう後ろを向きながら、ドアを開けた。

「じゃぁ、テキトーにやるね。レポート大丈夫?」

「うん〜、、。」

私は、靴だらけの玄関を抜け、流しに溜まった緑色のドロッとした皿たちを横目に、彼の部屋へ荷物を下ろした。ジャンバーを脱ぐと、石けんの香りがした。シャワーを浴びてきたばかりだった。

そして玄関の方へ戻り、また緑色のドロッとした皿たちの前に立った。

(いつから、置いてたんだよ、これ、、)

左横の冷蔵庫の上には異臭を放つ炊飯ジャーがあった。

 

◆ジャー男という男 〜ある雪の日 1〜

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 私は2年近くもの間、彼のド汚い部屋を掃除していた。会いたいのかどうなのか分からない歯切れの悪い電話に、夜中の呼びつけ、部屋には何週間も洗っていない洗い物、そして、炊飯ジャー

 

彼には私が必要なんだと思い込んでいた2年間。友人との約束よりも、彼の部屋の掃除を優先していた頃の自分は「私は母性が強いんだな」と思っていた。母性とお世話は違う。間違えちゃいけない。母性はとても尊いものだと思うけど、「母性が強いよね〜」で、自分の変態的な恋愛体質を肯定しようとしてはいけない。自分の時間は、自分のためのものだ!

 

女性にとって、ウキウキすることは大事なことだと思うのだ。最近は、主婦モドキなこともあり、1日も家から出ない日もあったりする。でも、朝から化粧をしたりする。自分への気合いを入れる為だったり、今日の自分は可愛くいたいと思う時に。

 

それがひいては、旦那さんがウキウキすることに繋がれば一石二鳥だ!

 

ジャー男に学んだことは多々あるが、今日はその1として、初めて短編集風に書いてみた。ではまた。

 

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夜からの電話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウォーキングと江戸の世界

最近の私の楽しみは、ウォーキング+落語。まだ日が明るいうちに上着を着て、平城京の「いつものコース」を歩く。平城京内は、建物の再現建設中で、働くおっちゃんたちの声が飛び交っている。


私が落語に魅了され始めたのは、ついこの間のこと。アニメの昭和元禄落語心中を何気なく見始めて、、みいはあのようにハマった。


流れるような声が、あっという間に江戸にタイムスリップさせてくれる落語。最近の自分の価値観とは、違うものを流し込んでくれるような感覚がある。(実は、まだ本物の落語を聞きにいったことがないのだけど。。笑  今は声という音だけを楽しんでいる状態)


最近のことを話したりする前説があって、それから知らぬ間に演目の話に入っていたりする。話の内容は、主人公と登場人物とが会話を交わす中で、時には語り手が説明してくれたりと、幼い頃に母に聞かされた「昔話」みたいだ。だからかもしれないけど、聞いていると、少し懐かしい気もしてくる。ガハガハ笑ってしまうわけではないのだけど、ウォーキングの最中にきっと私は1人でニヤニヤしている女になっているはず。ちょっと怪しい。笑


まだたくさんいろんな話を聞いたわけではないけれど、この話が生まれた時代というものは、なんと想像力に富んだ世界だったのだろうと思う。


少なくとも今よりは便利な時代ではなかったから、人々は想像力を働かせて生きていたと思う。旦那さんはいつ帰ってくるのだろうか?(スマホなんてない)、病気になったけどどうやって治したらいーのだろうか?(ドラッグストアもない)、あるお店に行きたいけどどこにあるのだろうか?(食べログGoogleマップなんてない)、その度に周りの人に聞いたり、馴染みの人を探したり、お化けが出たなんて聞いたら自分の行いを思い返したり、、


生活の1つ1つが、人情に溢れているし、夫婦なんてのは支え合って生きているのがよーく伝わってくる。


私はそんな江戸の生活を、平城京なんてだだっ広い場所で、ウォーキングしながら呑気にニヤニヤ聞いている。ニヤニヤ聞きながら、一つ一つの話に、生活の知恵をもらっている気がする。屋根がある場所で、毎日ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るなんて生活がとても幸せに思えてくるのが、今日聞いた「ねずみ穴」だった。

 

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わからない事が増えていくワクワクとスカッ酒

読書こそ最大の「体験」

 

ぼくはいろんなことを知らないんだな〜

知ろうとするほど謙虚になり

結果知識が身につく

 

『孤独と上手につきあう9つの習慣』(和田和樹 著)より

 

今日、久しぶりにゆっくーりと時間をかけて、ある本屋さんを楽しんだ。その本屋さんは、私にとっては興味をひかれる本たちが所狭しと並べられていた。目に入る本のタイトルのどれもが私に嫉妬させた。というのも、なんだかこんなに知らないことがあったのかと、焦燥感にも似たドキドキを久しぶりに感じたのである。

 

いつも土日にはいるツレ(旦那と呼ぶのが嫌なので、「ツレがうつになりまして」をお手本にこの言い方にしてみる)が、朝から美容院、仕事、結婚式に行ってしまうというので、できた時間だった。主婦モドキである私にとっては、こーやってポコッとできた時間をどう有効に使うかがとても重要なのである。「あ〜今日は何もしてない、パジャマのまま夕方だ。。」という、あまりにも世界の人に申し訳ない状態(無駄に世間体を気にする)で終わる日はどうも気持ちが沈む。

 

ゆっくりといろんな本の表紙を見ながら、私の目に止まるタイトルの系統はどうしても、エロだったり、性だったりする。自分でも良く分からないが、美術大学に通っていた頃から私の作品づくりのコンセプトに入ってくる内容にどうしても「性」に関することが入ってくるのだ。いまだに自分の中でその理由は解明できていない。もしかすると、もっと幼い頃から何かきっかけがあったのかもしれない。それは、これからこの場所に言葉を発することで何か分かるかもしれないと期待する。

 

今回は気になる本を2冊見つけた。

『風俗嬢という生き方』(中塩智恵子 著) 

『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(ジャレド・ダイアモンド 著)

早速主婦なので、メルカリで探して購入した。その場で古本屋に注文できる感覚の今の時代に生まれてよかったと思う。少しのお金でも節約は大事。

私にとっては今まで、分からなかった世界のことが綴ってある。もしかしたら、読み終わった時には、私の中で何かが芽を出すかもしれない。(ワクワクっ)

また最後まで読めたらここに感想を綴りたい。

 

私は今日都会に出て、地下をもぐっていた。モグラのようにグルグルと地下の本屋さんへ行って、地下のウィンドウショッピングをして。最後に地上に出てみると、街はもうクリスマスモードでみんなウキウキしていた。木々にはグルグルとたくさんのイルミネーションが見える。あぁ、一杯飲んで帰りたいなと思ったが、田舎のモグラには少々ネオンとウキウキが眩しすぎた。そのまま地下へもぐって、田舎へ帰ることにした。

 

たくさんの知らなかったことを吸収して、家に帰ってから“初めて”飲んだ「はちみつ&ザクロスカッ酒」は、なんとも一番うまい。

 

酔っ払う前に書き終えた。

 

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モグラの本屋へ行ってみた

 

 

 

 

「いつものこと。」を言葉にする

ただいま。

ということにしよう。

 

新しい場所に越して来てから、自分の想いを綴っていこうと思って始めたこの場所を、もう2年以上ほったらかしにしてしまった。

ごめんなさい。(_ _;)←自分に対して

 

ところで、最近「僕たちは奇跡でできている」というドラマを楽しみに観ている。先日の放送の第8話で、『〜…山田さんが11年ぶりにかずきさんの元に戻って来た。一緒に暮らすには11年という時間が必要だった。ただそれだけのこと。…〜』こんな会話があった。(※観てない人はごめんなさい、役者さんの一言一言が心に響くとてもいいドラマなので是非観て欲しい)そのシーンを見ていて、『あぁ、戻ってもいいのかもしれない。ただ、今、何かを、書きたい』そう思った。

 

こんな風に、いつもあること。を言葉にすればいい。

いつものこと。には、いつもじゃないこともたくさん詰まっているかもしれない。

それは、私一人では気づけないし、ましてや、発しなければ気づくか気づかないかさえ意識しない。

 

自分の中で、どんなことに興味があって、どんなことが引っかかるのか、わからないけど、2年前に作ったこの場所に、少しずつ「いつものこと。」を綴っていこうと思う。

 

まずは、ただいまと。

自分に言ってあげることにする。

歩いて帰ると、

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今日も「シュフサン、オツカレサマデシタ〜」とお仕事を終えた。

 

仕事場までは、全部で歩いて30分かかる場所。もちろん帰りも30分。身体が少しホカホカするキョリ。

 

帰り道には、よく「ガクセイサン」に出会う。とても楽しそうな彼らは、1分1秒を謳歌しているのだろう。

 

私も歩きながら、後ろから少しその空気に肖る。楽しい空気に「シュフサン」癒されてます。

なつかしい、場所。

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わたしのなつかしい場所は、

だんなさんにとっては、はじめての場所。

 

わたしの想い出がたっくさん詰まった、駅、道、学校、電車、建物、イス、自動販売機、ちょっとした草、横断歩道、、

 

変わらずにあるモノもあるけれど、はじめましてのモノもたくさん出会った。変わっていくけど、変わってない「ばしょ」。匂いだけは、変わらない気がして、想い出はしまっておいていいよと、言ってくれている気がした。

 

なつかしい想い出は、なつかしい場所にこっそりとしまっておく。